政治経済 メノツケドコロ(積極財政)

一介のサラリーマンが、世相、政治、社会への考えを綴ってます。

気をつけないと進んで搾取されようとしてしまう。

私は不動産会社で働いている。

ただ、一般的に想像される不動産業者と違い、不動産を買取って手直しして再売却する

方法で利鞘を稼ぐ商売なので一般のお客様ではなく不動産会社を相手に営業している。

その関係で基本的に土日が休みの仕事なのである。

 

だが、本日会社での話し合いの中で、もっと一般のお客様と接点を持つことで売上を稼ぐようにポータルサイト(スーモなど)に広告を出すことを提案された。

 

まだ未確定ではあるが、私はそのことで意見を求められた時に「土日に案内が入ったりすると生活リズムが崩れるのでその点が不安だ」と率直に伝えた。一般の方が家を見に行けるのなんて土日しかないという家庭が一般的だろう。

 

正直このような場で自分の私生活の時間を優先するような発言をすべきか迷ったが、そうした意見を頭から否定するような職場でもないので言うことが出来た。

ある程度水を差しておかないといけない事情もある。弊社は有給の取得はほぼ誰もしていない。加えて休日の出勤があっても代休が取れるような環境ではないからだ。

 

上司の方からは案の定快くは思っていないと言う返事が来た。要点を挙げると。

 

・このご時世、休日に全く対応しないで済むような仕事は、役所とかでもない限りほとんどないだろう。融通利かせないといけないのでは。

 

・不動産は一回に扱う金額が大きいから、この業界に携わる以上完全に割り切ることはできない。チャンスを逃してしまうことになる。

 

・上司自身も休日に仕事をすることは嫌だが、実際にするときはちょくちょくある。やらなきゃ仕方ないのだ。

 

概ねこうした意見であった。

 

私は上司に関しては全く文句はなく、むしろ多くの会社よりも理解のある方だと思っている。

だから、私自身が上司の意見に賛同できない自分を残念に思っているくらいである。

 

それでもどうしても納得はできないのである。

 

このご時世には仕方ないと言う点について。

確かに現実問題として労働者の権利がしっかりと認められている会社なんてほとんどないであろう。

有給はしっかり全部使えて、サービス残業もなく、労働時間や休日数なども完全に法律を遵守している企業などほとんど聞かない。

でも、だからといってその現状に納得してはいけないと思うのだ。

結局社会というのは人間が作るものなので、その構成員である私たち一人一人が自分たちの権利を認識し主張することでしか変わらない。

その場を穏便にやり過ごせるからといって唯々諾々と従っていてはいつまで経っても労働者は搾取される一方のはずだ。

だから、個人としてはできる限りそうした労働のあり方を避け、不可避であってもなるべく最小限にすることが小さいけれども重要なことだと考える。

そして、選挙を通じたり、SNSなどを通じて自分の意見を表明していくことで変えていくしかないだろう。

 

 

そもそもこうやって労働者自身が必要以上に責任感を持つ意味がどこにあるのだろうかと疑問に思って欲しい。

労働者は時間を切り売りすることでお金を稼いでいる。

株主は資本を使って事業を行うことでお金を稼いでいる。

つまり労働者は自分の時間が商品なのだから、安売りしてはいけない。

自分の時間を安売りしてそれで守ることができるのは会社の看板でしかない。

労働者の生活は、精神の自由は、身体の自由は株主利益の前に犠牲になってしまう。

 

おかしな話だ。

本来約束した時間あなたを使用するから、あなたの時間を奪う見返りに賃金を渡します。

でも得た利益は私のものにしますね。これが資本家の論理である。

なら、約束した時間以上の業務を求めるのであればそれ相応の金銭的な報いを与えるのが道理だ。

それがしたくないのであれば、資本家自らが会社の看板を守るために現場に出向くべきだろう。

それが嫌なら役員報酬は何のためにあるというのだ。

 

労働者が考えるべきはあくまで自分の利益。

会社に平身低頭仕えたところで将来豊かになることを約束してくれるような甘い社会ではないのだ。

頑張っても庶民には増税、高負担。金持ちほど社会的な名声を得ており、教育の機会も得られる。金融所得への課税は累進性がなく金持ちほど優遇されている。

 

そんな不平等な現代社会で、努力してもなお報われない可能性が高いのだから、庶民が守るべき資産はただ一つ。

 

時間である。

 

確かに今は健康格差とも言われ、所得水準によって寿命や精神及び身体的な健康も左右される部分があろう。

だが、資産が2倍、3倍、何万倍と差をつけられたところで寿命の差は高が知れている。

唯一、庶民であっても金持ちと同じように生まれながらに持っている自分の時間を守るべきなのだ。

 

それを、目先の社会的な圧力や端た金で易々と差し出してしまうのは

自ら搾取されにいくようなことだ

 

社会になんとなく広まっている「常識」の多くは、金持ち側がより金を儲けるために我々に刷り込もうとするものなので、気をつけておかないと自分の時間、人生そのものを進んで搾取者に差し出してしまうのだ。

 

情報を流すにもお金がいる。私の目の前にある情報は誰がどんな意図で流しているのだろうか。

 

自分の人生を、何より大切に生きていこう。